前島良子さんの体験談
これから紹介する(仮名)前島良子さんは14年前から三叉神経痛に悩まされ、4年前にはテレビ番組「ゴッドハンドを持つ名医」番組で紹介された、東京のペインクリニック「某先生」にも診てもらいましたが「あなたの症状は治らない」とはっきり言い渡されます。
前島さんは「痛みが改善できるのであれば、外国に行ってでも治したいと先生に訴えましたが、日本は進んでいる方ですから、何処へ行っても同じですよ」と答えが返り、絶望の淵に立たされた経験をお持ちです。
私に「三叉神経痛」の症状が出始めたのは、14年ほど前の40代後半の頃です。嫁いだのは青果店を数件営む家庭でした。
嫁ぐまでは、看護師として働いていましたから、結婚後も看護師の仕事をしたかったのですが、忙しい家庭にあって、そのようなことを言うことが出来ず、お店の手伝いを我慢してやり続けました。この我慢をするということが後年思いもよらぬ病に侵される原因となりました。
数年した頃からです。一日の仕事が終わると疲れを異常に感じるようになって来ました。そのような日は、神経が高ぶっていて熟睡が出来ません。当然、朝起きるのも苦痛になってきました。
そんな状態で何ヶ月か過ぎた頃から、急に足が重くなり歩く事が不自由な状態になって困惑していると、右側の奥歯に痛みが出始めたのです。
整形外科で足の状態を診てもらいましたが原因は分かりませんでした。
歯の痛みは次第に強くなり「親知らず」が虫歯に侵され「ズキズキ」と傷む感じが出て来ました。歯科医を受診して各種検査をしましたが、虫歯とか悪性の病態は見付かりませんでした。
麻酔をしてもらい、痛みが軽減できるか試しましたが、薬が効いている間は「歯ぐき」が麻痺をするので痛みは和らぎますが、切れるとまた強い痛みに変わり、歯科医から「歯科の領域ではない」と言われ日赤の「口腔外科」を紹介されました。
口腔外科でも各種検査をしましたが原因は不明で「色々の病気からこの痛みは来ているから」と言われ、耳鼻咽喉科、そして脳腫瘍の検査のため脳神経外科でも診断しましたが原因は分かりませんでした。そして痛みが取れないので病院内の「ペインクリニック」に回され、「星状神経節」に痛み止めの薬剤を打ちましたが症状は何ら変わりませんでした。
「三叉神経痛」とどの科で診断されたか記憶が定かではありませんが、ペインクリニックで、三叉神経を麻痺させる治療をしたことから、三叉神経痛と診断されていたのでしょう。
そして最後には「精神科」に回され「カウンセリング」を受けましたが、何だったのでしょうか。
「痛み止め」は各科で処方され、効果を見るために2ヶ月単位で服用しては、効果なければ変えて服用と言う繰り返しで3年が過ぎてしまい、総合病院では治せないという不信感から「怒りさえ感じて」以後受診することはありませんでした。
それからは、市内の整形外科医院でも診断してもらい「けい引、電気治療、交感神経ブロック」も試みました。ペインクリニックにも再度挑戦しましたが効果はありません。
鍼にも通いましたが「鍼」を刺される緊張があり、私には合わない治療だと感じて9ヶ月程で止めました。
吸玉療法といって、吸盤を背中などに吸いつけて汚れた体液を吸いだす療法も受けました。
大極拳もやりました。身体をゆっくり動かす事でやっている間は気持ちよく、痛みのことが忘れてよいのですが、終わるとまた痛みが甦り長続きはしませんでした。
総合病院での治療から離れてからも2年ほど、前述の療法を受けました「必死にさ迷い歩く」という感じでした。
家庭でも「歯茎が痛いのよ」と言っても「そりゃ大変ね」とは言ってくれるのですが、誰も経験が無いので真からは分かってもらえません。
それは仕方が無いことでしょうが、本当に親身になって理解を示してくれない事に、哀しさとか孤独感とかを感じて「やけになり、お酒を飲んだり、馬鹿食いをして憂さを晴らす日々もおくりました」
寝るとき以外は「ズキズキからキリでもまれるように」痛みが強くなり、仕事をする意欲も無くなり、2年間は引きこもりの「欝(うつ)」状態のなかで、唯唯寝たきりの生活を余儀なくされ「もし、これ以上痛みが強くなったら、我慢できないだろうから死に場所を選んでおこう」と考えました。
近くのビルの6階に「下見」までしたのです。これで最悪の状態が訪れたら「迷うことなく」この場所に来ればよいと、ひとつの懸案が解決できたと安堵したのです。
痛みとの戦いの中で、何時楽になろうかと考えると同時に「私の死は変死よね」「今日まで我慢して生きているのは、子供に食事の世話などをしてやらなければいけないという、母親の義務感よね!私が死んだら、子供は一生母の変死を背負って生きなければいけない。それはいけないことだよね!」
常に迷いが出ても、やはり「子供を育てる」ことが勝り、生きながらえることが出来ました。
7年が経過した頃「青果店」を畳むことになり、私も資格を生かしてしっかりして働かなければならない状況に追い込まれると、痛みはありましたが何だか元気が出て「老人健康施設」に勤める事になりました。
歯茎の痛みは、仕事をしていると紛れて、日勤も夜勤もこなしました。私は看護師の仕事が好きだったので、仕事をしているほうが楽だと感じました。でも仕事が終わると苛々して機嫌が悪くなり、友人に食事などを誘われても「お付き合いするエネルギー」は残っていないので何時も断っていました。家に帰れば疲れがどっと出て「ばたんきゅう」でした。
冒頭の東京のペインクリニックはテレビ番組で知ったのですが「ゴッドハンドの名医」の番組では、治っていく人の映像が何人も映し出され、三叉神経痛の症例は放映されませんでしたが「私の痛みもとれると思い込み、やっと治してもらえる先生を見つけたと期待に胸が膨らみ、早速予約を取りました」某先生の予約は2年先でしたが、弟子の先生の予約は3ヵ月後でしたので「藁にもすがる」心境のなか弟子の先生の予約を取り上京しました。
計らずも当日は診断を受ける間際、某先生の患者さんに予約キャンセルがあり急きょ診断していただく幸運に恵まれ「希望の光」が更に増幅しました。
しかし、結果は失望感で覆い隠されてしまいましたが、「治らない」とはっきり言われたのはこの病に罹って初めてのことでした。
治らないと言われても「でもやってみますかと先生に言われ、お願いします」とやってはみましたが、結果は同じでした。帰り際にまだ未練が残り、次回の予約をとって帰りましたが、数日後にキャンセルしました。
最後の望みも消えうせてこの日を境に「この痛みとは一生付き合っていくしか方法がない」と、諦めて仕事に精を出すことにしました。以後一切手当てをする事は止めました。
仕事も母の看病のため2年ほど中断してから、「ヘルパーの派遣事業」をしている今の会社に4年前から勤めを再開しました。
ヘルパーの仕事の中で昔も痛いことがあった「左膝」に昨年から痛みが再発して、整形外科に通いましたが芳しくない日々の中で、歯茎の痛みも相変わらずでした。
会社の社長さんから「よい手当てをしてくれる高橋先生がいるから、是非行って見たらどうか」と1年前から再三促されましたが、医療不信に陥っていている私は「何をやっても効果などあるはずが無い」と頑なに行く気持ちにはなりませんでした。
今年に入り、膝の痛みと、歯茎の痛みが悪化してきたので、社長さんに仕事量を減らしてくれるようお願いしました。
会社では、腰や膝を悪くするヘルパーが多く、休まれると他のヘルパーに皺寄せが行くために、会社では今年4月に「髙橋健康指導センター」の法人会員となったことで、多くの社員が健康指導を受けに行くようになりました。
その中に私と親しくしている方が居り、後で分かった事ですが、社長さんから「俺が何回言っても前島さん言うことを利いてくれないので、前島さんを誘ってくれと頼まれたそうでした」
その友人も肩こりや腰が悪くて、整形外科や整骨院などに通っていたのですが、楽にならず苦しんでいたのに、高橋先生のところに通うようになってから、楽になったとのことで、一度是非に行ってみましょうと強引に誘われたのです。
今年の4月「仕方ないな!私の症状など治せる手当てなどありえないが、無碍にも断われないと諦めて伺うことにしたのです」
最初、私の態度は悪かったと思いますから、今思えば先生に申し訳なかったと思っています。
先生は「常に自分の身体のメンテナンスが大切な事です。三叉神経痛でも改善しない事はありえませんよ!」と励ましてくれたのです。
14年間こんな事を言われたのは初めてのことで、何処に行っても希望を与える言葉をかけてくれる先生は一人もいませんでした。でも半信半疑で手当てを受けたことは事実ですが、その夜「歯茎の痛みが軽くなったのです」「ええ、嘘でしょう!」と思いました。
たった一度きりの手当てで、膝の痛みも、歯茎の痛みも変わってしまったのです。
楽になるまで毎日来てくださいと言われ、時間を作ってしばらくは毎日通いました。
驚く無かれ、日に日に痛みが楽になり、今では痛みが鈍痛に変わり我慢する事ができます。痛みを忘れていることもあります。膝も腫れていましたが、大分和らぎました。
思えば長い道のりでした。私も看護師ですから医学の事は勉強していますし、この仕事は大好きです。歯茎が痛いときでも、仕事に没頭している事で痛みも忘れる事ができました。でも、自分が学んだ医学では「私の症状を軽減させる事さえ出来なかった事実は真実です」大量の薬剤を使用して太刀打ちできないのです。
私は性格の悪い人間だと、同僚からは思われていると思います。仕事が終われば「不機嫌になり、誰とも話したくなくなるからです」でも、痛みのためにもう穏やかに振舞う余力は残っていなかったのです。
でも今は違います。お茶を飲みに行ったり、食事に行ったりすることが可能になり、落ち着いた気分で日々生活できる事が何よりも何よりも嬉しい事です。
前島さんは一か月は毎日施術を受けることで、三叉神経痛は克服しました。その後は体調の管理で月に数回は見えています。
三叉神経痛の体験談をブログに載せた最初の患者さんです。
前島さんが、私の所に見えなかったら、三叉神経痛について研究することはなかったでしょうから、私にとっては忘れられない方です。
骨盤を正したことで、膝痛も三叉神経痛も克服し、更に肩こりも改善して体調が良くなったと、大変喜んでくれた笑顔を忘れることは出来ません。
平成22年の4月に、当センターを訪れ9月に書いた体験談です。
平成27年9月 高橋健康指導センター 高橋純一