薬も手術も不要で三叉神経痛の痛みを克服する方法・体験談

美味しい空気・美味しいお水・美味しい食材の、自然豊かな長野で、三叉神経痛を乗り越える健康指導を受けてみませんか!                          歪みの正し方・健康を維持する食事・正しい運動法・病に対する心の有りよう、日常生活の基本など、高橋健康指導センターは健康を回復するノウハウを懇切丁寧に指導いたします。

一回の施術で克服した三叉神経痛の症例

   (仮名)前島みそらさんは中学三年生、今は高校入試の受験勉強に明け暮れています。

そんな若い、みそらさんも三叉神経痛に短期間悩まされます。

 10月8日のことです。当日は土曜日で学校はお休みですが、受験勉強を頑張らなくてはなりません。

普段通りに起床して朝食を食べようとした途端、右側奥歯に強烈な痛みが走ります。

あれあれ何だろうと「狐につつまれた」ような状態になりますが、暫くすると痛みが治まります。治まった事で朝食を済ませますが、嫌な感じを残します。

昼食も同じように、食べようとした最初に右側奥歯付近に痛みが発現しますが、直ぐに治まり普通に食事ができましたから、その後の食事は痛みが治まれば食することで済ませました。

 2日ほどそんな状態が続きましたから、両親は市販の痛み止めを求めて、服用させますが効果は有りません。

すると食事の時のみ右側奥歯に出ていた痛みが、今度は右眼の奥から右側おでこ付近にも痛みが食事以外でも発現するようになります。更に、食事のときの痛みが強くなり治まるまでの時間が長くなります。

このような状態に陥りもはや受験勉強などできません。

 10月14日総合病院を受診します。診断名は三叉神経痛で二種類の薬を処方されます。「テグレトール(抗てんかん剤)とロキペイン(非ステロイド抗炎症剤)」です。服用の効果はありましたが、思わぬ事態に悩まされます。

酷い「口内炎」です。このために食事ができません。

両親は、これは薬の副作用ではないかと気づきインターネットで調べます。両方の薬に口内炎の副作用が記載されています。更に、下痢や胃部不快感の症状も出ており、副作用ということが分かりますが、副作用の多さに驚きます。

 このような危険極まりない薬を服用していくことで、今後更なる副作用に見舞われ、みそらは廃人になってしまうと危惧し、他に何かよい療法がないかインターネットで検索します。

当センターの「体験談」にたどり着き、薬なしで三叉神経痛を改善した幾つかの症例を読み、希望をたくして10月15日伊那市から来られました。

 

三叉神経痛は身体の歪みが根本原因です。

 

正面からの写真を見ます。左肩が下がり顔は右側に傾斜しています。

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背骨から首の骨にゆがみがあるからです。

ゆがみの元は骨盤です。

両足の長さを比較します。右足が短いので右骨盤がヅレています。

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大仏座りも中学生にしては柔軟性に欠けます。

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上肢の歪みは、肩や首、顔面の筋肉群を緊張させて三叉神経を圧迫します。

この身体の歪みを改善して、柔軟性を養う運動をしていくことで三叉神経痛は克服できる事を指導しました。

健康指導中も右側顔面には痛みがあるとのことでしたが、骨盤を整え、上肢の調整が終わった時点で質問してみました。

「みそらさん頬の痛みはどうですか?」

「先生!痛くなくなった。不思議!嬉しい嬉しい!」と大きな瞳を輝かせて喜ぶ姿は、忘れる事ができません。

 10月15日帰り際にお父さん「先ずは一安心ですが、再度痛みが出たら直ぐに伺います」と言われて帰られましたが、今年の年末まで来られないので電話をして見ました。

「先生有難うございました。あれ以来三叉神経の痛みは出ていません。驚きました!」という興奮気味の返事が返ってきました。

 1回の指導で痛みが半減した方はいましたが、全く消えた方は初めての経験ですので、私も驚きました。しかし、考察すれば、私のところに来られる方は全員が、最初から、西洋医学の手当てに何年か何十年かかわり、何種類の薬を服用し副作用に苦しみ、また、薬の効き目に失望して、手術を受けた方が大半です。

一日のみの薬の服用の結果出た副作用に気づき、他の療法を模索した両親が賢かったということです。

何年も薬の服用を続けても症状が酷くなっていくと言う事は、薬は三叉神経痛の根本原因を改善してくれないからです。身体の歪みの進行を止められないため、最初は薬で症状が改善される事はあっても、ゆがみが進行することで再発するのです。そしていかなる薬も効果がなくなると、手術を選択すると言う事になります。

 

手術をして何年かは痛みが消える方もいますが、3,4年で再発するようです。つまり、歪みが顔面骨にまで及ぶことで顔面の筋肉群が三叉神経を圧迫する事態まで進行するからです。

しかし、薬の効かない人、手術で再発した人も、歪みをとることで我慢できるまでに改善され、更に手当てを継続することで、身体の緊張が一定のレベルまで緩むと痛みは消失するのです。

みそらさんは発症から8日目に、私の健康指導を受けたのです。

身体の歪みが小さかったこと、そして筋肉群もダメージが少なかったことで、一回で痛みが消失したのです。

12月初旬  高橋健康指導センター 高橋純一

三叉神経痛を乗り越えての喜びも、つかの間「肝臓がんの診断」

 2010年11月18日に、私のブログで「ゴッドハンドを持つ名医から見放された三叉神経痛克服」を読んで、千葉県から某航空会社の日本駐在員をしている米国籍(カリフォルニア出身)の男性Bさんがみえました。

 Bさんは2001年ハワイ駐在中に「右下顎」に三叉神経痛を発症し、以来、テグレトールを米国の主治医に処方してもらい、規則正しく服用してきたとのことです。

Bさんの奥さんは「美千代さん」と云う日本人で、主人は「痛みの恐怖のトラウマ」から、目覚まし時計をセットして8時間単位で、真夜中でも薬を服用していることに心を痛めていたとのことです。

 

2年前から、日本支社の成田に転勤となりましたが、仕事は出張が多く、ゆっくり身体を休める余裕がない生活の中で痛みに耐えかねて、今年の4月に「微小血管減圧術」の手術を千葉市内で受けます。

しかし、半年間は痛みも消えていましたが10月ごろから痛みが再発して、

精神的にも追い込まれ、11月当センターに来られた時は「ガンマナイフ」治療の段取りをしていると話されました。

 私は、ガンマナイフは放射線障害の危険性が大きいので、私の自然な療法を出来る限り多く受けてみることを勧めました。

また、三叉神経を克服した患者さんの体験談、三叉神経痛は身体の歪みから発症する原理を、奥様に通訳してもらい説明しました。

骨盤など解剖学の用語は、奥さんも分からないので辞書で調べての説明でしたが、本人は性格も理解力もよく、納得して手当てを受けてくれました。

「Bさんの身体の歪みを見てください」

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正面の写真を見ると、顔は右側に傾き、左肩が極端に下がっています。

この身体の歪みは骨盤が歪んでいるため、背骨がバランスをとるために、S字状に曲りが出るからです。

三叉神経は上半身の歪みが大きく影響していますから、この歪みを正す手当てを続行しないと、根本的に痛みは取れないでしょう。

薬も手術も一時しのぎでしかないことは、体験者の方はお分かりのはずです。

どれほど有名な医師、大学病院に通っても、三叉神経痛の根本原因を正さなければ解決ができないのです。

次の写真は「大仏座り」と云いますが、三叉神経痛の方は身体が硬いのが特徴です。顔が床につきませんから、身体が硬いことが伺えます。

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足の写真は、上は骨盤を正す前の写真です「右足が短いですから、右骨盤が大きくズレています」。真中は「右骨盤を調整するとだいぶ長くなりましたから、左骨盤も大きくズレていました」

下は「左骨盤を調整することで、左右揃いました」

 このように左右の足が不揃いで生活をすることで、身体全体に大きな負担をかけることから、筋緊張が増幅されて顔面に三叉の痛みが発現しているのです。

この身体の大きな歪みが三叉神経痛の根本原因です。

骨盤を整えたことで、身体の歪みは時間の経過とともに解消してきますが、筋肉が硬いので、柔らかくする手当てを出来る限りすることを説明しました。

 毎週1回の手当てを継続する中で、2011年2月に入ると、体調が非常に良くなったと喜んで話してくれましたから「薬はどうしていますか?」と問うと、奥さんが「痛みは出ていないけれど、痛みの発現の怖さがあって服用は止められないのです。体調も良いので先生から薬を止めるように話してほしい」と云うのです。

私は「薬は副作用があるので身体には毒です。体調も良いのですから、勇気をだして薬を減らしていきましょう。痛みは出ないと思いますよ!」と、経験から説明しました。

 

Bさんは2月中旬から、2週間休暇をとり奥さんとカリフォルニアに帰りました。

3月に入り「薬は完全に断ちましたが、痛みはありません」と話があり、米国に帰り主治医に「日本で整体を受けたところ、三叉神経痛の痛みが、ほとんどなくなりました」と話をしたところ「それはよかったですね!」と一緒に喜んでくれたと話がありました。

奥様曰く「米国では西洋医学以外の手当てでも、治ることが優先なのです。主治医は受け持ちの患者が良くなることは、誇りになるのだ!」というのです。

日本とは比較できない米国の医師の考えに、私は感動しました。実は、米国の医学部では、西洋医学以外の手当法の講座が100時間近くあるということですから、他の療法の良さも医師は理解しているからでしょう。

日本の多くの医師は、西洋医学以外の手当てなど、怪しい手当だと見下げているのが現状です。

しかし、日本の医学部にそのような講座が存在しないのですから、仕方ないのかもしれませんが、良くなる可能性のある療法は研究して欲しいと望まずにはいられません。

 

さて、三叉神経痛の痛みが消えたと笑顔が戻ったBさんでしたが、思わぬ事態が発生します。

4月に入り一週間の出張から帰って、当センターに来る前夜、腹痛で苦しみます。翌朝、近くの胃腸科クリニックで診察を受け、検査の結果「肝臓がん」が見つかったのです。

奥さんから朝電話があり「カリフォルニア」に帰って、主治医と相談しますと連絡がありました。

後日、国際電話がありました。

「肝臓がんはかなり進行しており、処置の方法はないので静養するしかない」という、美千代さんからの残念な連絡でした。

 

Bさんが服用していたのは「テグレトール」です。

テグレトールは効く人には効果が抜群です。しかし、肝機能を低下させるために長期使用は非常に注意が必要な薬とのことで、1月に一回肝機能検査をして服用をする薬です。

Bさんにはもう一つ気になることがありました。

ファストフードの「ハンバーグステーキ」が大好きで、出かけると直ぐに「ファストフードで買ってしまうのです」と、美知代さんが諦め顔で話されていました。

また、Bさんは肉類が大好きなので、自宅では和食を中心にしての食事を心がけているが、出張が多いので、その時まで目を光らせることができないので、気になると言われていました。

なぜ、ハンバーグが気になるのかというと、ハンバーグの油分を消化するのは肝臓です。

動物性の油分は肝臓に負担をかけるからです。

テグレトールも肝臓に負担をかけます。

テグレトールは痛みの恐怖から、一日3回必ず服用して10年、肝機能検査を定期的にしていたかは確認してありませんが、急に肝臓がんが見つかったということは、検査を怠っていたということではないでしょうか。

米国式の食生活は「ガン」リスクが高いので、近年では「野菜」を一日350g摂るようにと指導がなされていますが、ファストフードのハンバーグでは、絶対量で野菜が欠乏してしまいます。

三叉神経痛を乗り越えることは出来ましたが、薬の副作用と食事との関係までは、気が回らなかったのでしょうが、私はこの点に問題があったのではないかと考えています。

あの身体の大きな歪みがもたらすものを、三叉神経痛で苦しんでいる方は直視してください。正さなければいけません。

しかし、西洋医学はまったく問題にしていない事実を知ってください。

そして薬「テグレトール」の副作用のリスクを知ってください。

更に食事では、動物性の油分は「肝臓」に大きな負担をかけることを知って下さい。

危険な現実を生きている自分を知ることができたら、退避する方法を取るべきでしょう。

一回だけの人生「大きな試練」に立たされてはいますが、前向きに生きることができれば、乗り越えることができます。

勇気を奮い立たせて、自分の人生を大切にして下さい。

何時でもお気軽にご相談下さい。メールでも電話でも。

      2015年10月 前の体験談を手直ししました。 高橋純一

現代医学の三叉神経痛治療に、翻弄された人・克服した人

 ここ一年間で「三叉神経痛」に苦しんだ三人の方の体験録を、私は持っています。

その内の一人は完全に克服され、もう一人の方も克服にもう一歩のところまで来ています。

 そしてもう一人の方は昨年11月中旬「他界」されました。

「三叉神経痛治療の光と陰」について考察してみました。

先にブログに紹介した「ゴッドハンドを持つ名医」に見放されたK・Sさんに、三叉神経痛の症状が出たのは平成9年です。

三年間総合病院の治療に専念しますが一向に改善されず、不信感を持って総合病院の治療から離れ、二年間、個人医院、鍼灸院、民間療法の治療に切り替えてみましたが、痛みの軽減はできませんでした。

その後は痛みが軽減できないことに諦めを持って、一切の治療を断念しての生活をしてきて、昨年4月私の指導を受ける中で、数ヵ月後には痛みは消失しました。

 

昨年11月に他界されたMさんは、66歳で発症して十年間西洋医学のみの治療を受けてきました。

平成12年に発症、総合病院で「三叉神経痛」と診断され、先ずは内服薬による治療を開始します。薬品名は「テグレトール」抗けいれん薬です。

最初は効果がありましたが次第に薬を増量しなければ効果がなくなります。そして三叉神経痛以外の症状にさいなまれます。

この症状はこの薬の副作用に記載がありますが、使用を続行します。

「めまい、ふらつき、歩行困難、抑うつ、頭痛、目の調節障害、食欲不振、高血圧、便秘、口の渇き、発熱、意識障害、低ナトリウム血症、関節痛」など、これらの症状のために、脳神経外科、内科、整形外科、胃腸科を受診し、これらの症状を緩和すべく、薬の種類が増えます。

多い時で十種類の薬の処方を受けます。

右下あごの痛みのため「藁にもすがる」思いのMさん、そして家族は平成17年11月、内服薬では限界を感じ「微小血管減圧術」の手術をうけることにします。この手術は脳深部の血管と三叉神経が触れている部分に緩衝する物質を挟みこむことで、三叉神経への刺激を抑制する手術です。

しかし、効果はほとんど無く。困惑している中で医師に、最近注目されている「ガンマナイフ治療」を受けることを助言されます。

ガンマナイフ治療は、ガンマ線を三叉神経の根進入部にピンポイント照射する治療法です。

平成18年3月この治療を、東京の某大学病院で受けます。

結果は三ヶ月ほど効果が有りましたが、再発してしまいます。

以降、なすすべが無い状態で内服薬の治療のみになりますが、転倒する頻度が多くなり、くだんの症状に悩まされます。そして寝たきりとなり、平成22年11月「脳浮腫」が原因で他界されました。

某大学病院のホームページに「ガンマナイフ治療」については、「三叉神経痛」にも効果が有る旨の記載がありますが、危険性として「脳浮腫と放射線障害」とあります。

そして「定期的な外来での経過観察にて十分予防できるものがほとんどです」とも記載があります。

平成21年に入り、Mさんは某大学病院に再入院もしています。そして、たらい回しに、大学病院を回り地元の総合病院に戻り、自宅療養となります。

なすすべが無いということです。

私に相談があったのは、昨年の8月です。

なすすべが無い西洋医学の治療の中で、家族の方が髙橋健康指導センターのホープページにたどり着いて、問い合わせがありました。

 あまりにも長い年月の薬と手術の弊害は、自然治癒力を呼び戻すには限界です。

脳浮腫が死亡原因です。

 「光と陰」

k・Sさんは、三叉神経痛の治療として「微小血管減圧術」「ガンマナイフ治療」が、確立されていない時期に西洋医学の治療から身を引いたのです。諦めであっても、西洋医学の治療では治らないと確信したのです。

Mさんは、素直に医師を信じて、医師の指示通りに西洋医学の最先端と言われる治療法に身をゆだねたのです。

K・Sさんも発症がもう少し遅れて、新たな治療が試されている、17年以降であったなら、どうなっていたかは運命の悪戯でしょうか。

 今回三叉神経痛で苦しんだ米国の男性Bさんが、昨年の11月から見えています。

 私のブログ「ゴッドハンドを持つ名医から見放された三叉神経痛克服」を読んで、千葉県からです。

詳細は、克服しましたら紹介させていただきますが、米国の航空会社の役員をしている多忙な方です。

 K・Sさんと同じように、右下顎の激痛のため精神的にも追い込まれていましたが、現在は薬の服用もなくなり、痛みも感じないか、出ても我慢できる状態まで改善しています。

発症は2001年ですから、十年前です。

以来、米国の主治医から薬を処方してもらい世界中を飛び回っていました。

昨年日本支社に駐在となり、いよいよ我慢の限界を超えて「微小血管減圧術」を日本で受けましたが、Mさんと同じで結果は暫らくの安堵でしかありませんでした。

三叉神経痛の治療の定番は、次に「ガンマナイフ」のようです。

 私のところに見えたときも「ガンマナイフ治療」を受ける段取りをしているとのことでした。

選択肢は色々あるので、先ずは当センターで「総合療法」をして、体質改善をしましょうと指導しました。

週一回の指導で、二ヶ月が過ぎたところですが、薬の服用は必要ないところまで、痛みは軽減しました。

後は、本人が自己の身体をいたわる生活ができるかにかかっていると思います。

 医術の進歩といっても、副作用が付きまとう危険極まりない治療でも、痛みが取れない患者には、医師は最後の望みを賭けて最先端治療を勧めます。

 医師ができる治療は、医学会が公認した治療だから、治る確率が低くてもやるしかないのです。他に治療法がないのですから。痛みに耐えかねた患者と対峙したら、新たな治療法があれば勧めるでしょう。

 これが西洋医学の実態です。医師も責める事はできません。

でも、自分の手当て法は、自分で選んでも悪い事はないでしょう。

 くだんの三人の患者さん。

西洋医学の治療から逃れた方は、三叉神経痛を克服したという事実を、三叉神経痛で苦しんでいる方は、肝に銘じるべきでしょう。

 そして多くの皆さん、薬や手術の陰にひそんでいる危険性を知ることです。

 

 高橋健康指導センター 髙橋純一 平成22年12月 

西洋医学各種治療に翻弄され、黄泉へ旅立った三叉神経痛体験談。

お知らせ ユーチューブで体験談の動画を観ることができますので合わせてご覧ください。「https://youtu.be/7y1elqSFzJI 」

  長野県内の77歳の石橋道雄(仮名)さんは、平成22年11月某日早朝県内の総合病院で他界されました。

私が石橋さんとかかわりを持ったのは、8月22日のことです。家族の方から「三叉神経痛を患い苦しんでいるが先生の意見を伺いたい」とい言う電話があり、訪問して状態を観察し、今日までの経過を伺いました。

歯科医院勤務であった石橋さんは66歳まで歯科医院に勤務をされていたとのことです。仕事は多忙で帰宅時間は毎日午後11時ごろが多かったということです。長年前屈みの仕事の性でしょう、猫背がひどく姿勢も悪い状態だったそうです。

仕事に見切りをつける数ヶ月前から、右側の下の歯茎に痛みが出始めました。総合病院で診察を受けると「三叉神経痛」と言うことで、薬はノバルティス社の「テグレトール」を処方されます。この薬は「抗てんかん剤」ですが、三叉神経痛にも使用されます。

三叉神経痛の西洋医学の治療法は、大きく分けて四通りあります。

①「内服薬による」治療法。

②「微小血管減圧術」脳深部血管の三叉神経への圧迫を手術により取り除く治療。

③「三叉神経節繊維破壊術」頭蓋骨の三叉神経出口に局所麻酔薬や神経破壊薬を注入して神経をブロックする治療。

④「ガンマナイフ治療」ガンマ線を三叉神経線維の脳幹出口にピンポイント照射し、三叉神経の何割かを殺す治療で、70%から90%の確立で痛みが消失すると報告されおり、今後更に利用されるべき治療法といわれています。微小血管減圧術の再発にも有効といわれている。

 

石橋さんはこのマニュアルにのっとって、治療を開始しますが、痛みがひどく66歳で仕事を辞めます。内服薬「デグレトール」は最初は効果がありましたが、次第に効果が薄くなるので服用量を次第に増量していったそうです。石橋さんは次第に、薬の副作用に悩まされるようになります。

しかし、薬の副作用とは家族も本人も思わなかったそうですから、服用を継続します。

「デクレトール」の使用により、石橋さんの訴えた症状など「めまい、ふらつき、歩行困難、抑うつ、頭痛、目の調節障害、食欲不振、高血圧、便秘、口の渇き、発熱、意識障害、低ナトリウム血症、関節痛」。これらは、この薬の副作用、重大な副作用に記載されています。

これらの症状を解決するために、更に「薬」が処方されていました。私が訪れたとき、石橋さんの服用していた薬の数は10種類ほどでした。

それは様々な症状があることで、脳神経外科、内科、整形外科、胃腸科、精神科を受診していましたから、それぞれの科が薬を処方していたのです。そして薬の怖さを知らず、真面目に服用していたのです。

 

平成17年11月痛みが酷く、総合病院で「微小血管減圧術」の手術をうけます。術後一ヶ月は痛みが消失して笑顔がもどったそうですが、また再発します。

医師は、再手術は出来ないので「東京某医科大学」脳神経外科の「ガンマナイフ治療」を勧めたそうです。

平成18年3月ガンマナイフ治療をうけます。効果があり術後痛みが消失して安堵の生活にもどります。

しかし、その生活もつかの間の安らぎでしかなありませんでした。

3か月後痛みが再発して総合病院への通院治療にもどり、神経をブロックするペインクリニックでの治療と、薬の服用が続きます。

平成20年4月転倒して左鎖骨骨折、同年9月腰椎圧迫骨折。

平成21年4月頃から足が不自由になり転倒する回数が増える。

5月に入り、不眠症から幻覚が現れ「脳神経外科」に入院して検査を受けるが、異常は見つからなかった。

歩く事が困難となり、誤嚥肺炎も起こすようになり、次第に自力での食事摂取が困難と成った事から「経鼻胃管栄養」にきりかえる。

意識が混濁して会話も不可能になり、7月から総合病院を皮切りに「東京某医大病院」「某大学病院」五反田「某病院」と周り各種検査と治療を受けるが、効果なく某病院では「胃ろう」の手術をうける。

自己免疫異常、代謝異常の診断を受け「ステロイド剤」の投与もうける。

感染症脳炎、高次機能障害、見当識障害、脳の代謝異常など診断されたが、打つ術は無くなってゆく。

 

12月に総合病院に戻る。

総合病院では、脳の検査の結果「脳浮腫」があり、脳の神経細胞が異常を来たしているという診断がなされ、これ以上の手当ては無いと、平成22年5月中旬退院、自宅療養にきりかわる。

「痰」が頻繁になり「痰吸入」を始め家族が交代で24時間介護し、週3回訪問看護の手当てを受ける。

医師には「何時何が起こっても不思議でない」と見放される。

私が伺ったときの道雄さんは、ベッドの上で左右の腕が内側から外に向かって捻じれ、手の平が外側を向いてお腹の上に乗っていました。手の甲が擦れる出血するので、手袋をつけていました。

目は大きく見開いて、瞬きはしていましたが、呼ぶ声に反応はありませんでした。その日から動かせる関節を少しずつ動かし、光線も当てました。

固まっていた関節も少しずつ緩み、腕や足の可動範囲が広がってきました。

血液中の酸素量も回復して普通に戻りました。便秘もしていて薬剤を使用しても、改善されなかったのに便秘も解消されてきました。

時折「声」を発するようになってきて、この手当てを受ける前とは明らかに変化が出てきました。

期待が膨らむようになってきた矢先、体温がさがり、呼吸が荒くなったことから、緊急入院をして検査を受けると、脳浮腫が起こっているとのことで、一時症状は持ち直しましたが、再度緊急状態に陥り不帰の客となりました。

亡くなった原因は、低体温から呼吸困難です。つまり、脳の機能低下でしょう。脳浮腫がひき起こした事は疑いの無い事実でしょう。

東京某医科大学脳神経センターのHPに「ガンマナイフ」治療について記載があります。

ガンマナイフの効果について期待できる文言です。そして危険性として「脳浮腫と放射線障害」とありますが、「定期的な外来での経過観察にて十分予防できるものがほとんどです」とも記載があります。

三叉神経の痛みのため「藁にもすがる」思いで、道雄さんも家族も医師を信じて10年に及ぶ治療を受けてきました。

薬の服用による副作用で新たな症状に悩まされて、薬の種類は10種類を越え、手術に一縷の望みを託して、そして放射線にも望みを託してみたが、僅かな日々の安堵でしかありませんでした。

そして「ガンマナイフ」の後遺症で命を落とす事になったのです。

その後遺症について東京某医科大学の医師からは、説明はなかったそうですが、後日「脳浮腫」について総合病院の医師から、その可能性がある旨の話はあったそうですが、後の祭でした。

 

私は今年二人の三叉神経痛の方と接して、お二人とも克服されました。

それほど長い期間の健康指導ではありませんでしたが改善されました。

道雄さんも早くに、この療法に出会っていれば人生は全く変わったものになっていたことは、間違いありません。

三叉神経痛から、各種西洋医学の治療を受けることで症状は益々深刻になっていったのです。

病気を治す治療が逆に病気を重くしていくという治療は、一体何なんでしょう。

私は、これは西洋医学が全く目を向けない「身体の歪み、不随して起きている、身体の過緊張」を改善するという発想を持たないことが一番大きな問題であると考えます。

薬、手術、神経ブロック、放射線は交感神経を刺激して更に過緊張の状態を作るのです。

治る人もいるでしょうが、治らない人の場合は、別の観点からの手当ても併用すべきでしょう。攻撃的医療と云われている外科的処置の危険性を医師も十二分に理解すべきです。

ご家族は「訴訟」を起こすことも考えたと云われましたが、そのようなことは現実一個人にとっては、不可能と諦めたと云われました。

「泣き寝入りです」

このような事例は全国にも多々あることではないかと思います。

 

ご家族の娘さんは「父は仕事を辞めてから十年間、唯ひたすら三叉神経の痛みとの戦いに明け暮れ、一度も旅行に行くこともなく、そして、寝たきりになってしまった。

薬など西洋医学の治療で治ると信じてやって来たが、最悪な結果になってしまった。十年を経て始めて知った、自然療法で、せめて会話ができる状態まで戻ることができれば、それだけでよい」と言われていました。ご家族の心労と無念さは、計り知れないものがあります。

よい方法があっても、この療法を多くの人に知ってもらう手法は、限られています。良いことをもっと広げる「国」や「マスコミ」の姿勢が問われています。

 

三叉神経痛でお悩みの方は、もっともっと視野を広めて、西洋医学の手当てについても勉強してください。そして、併せて、自然療法についても感性を働かして考えてください。

薬やメスでは完治しない問題が潜んでいるから、何年経っても三叉神経痛から脱出できないのです。早まって薬やメス、放射線へと進むと、このような結末を迎えることもあるということを真剣に認識することが、存命に必要なのです。

「後悔先に立たず」です。

平成25年3月          高橋健康指導センター 髙橋純一

悲しみは三叉神経を刺激して痛みを引き起こす原因の一つです。

   心身ともに重圧を受けると、交感神経という緊張する神経が身体全体をおおいますが、この神経のおかげで、気持ちを高めてその事態を乗り越えようと頑張れるのです。

しかし、この状態が数日間から数ヶ月間も持続すると、身体を休めることができずに慢性疲労状態に移行し、身体全体が過緊張になるのです。

このとき、症状としては発現していないが、一触即発という状態で推移していた方に問題が発生します。

一触即発の状態とは、過去において精神的或は肉体的酷使により、筋肉群などが異常に緊張していて、その状態に少しの負荷がかかっただけで、症状が発現することです。

三叉神経痛が発現する方もいます。関節リュウマチなど膠原病が発現する方もいます。どのような病が発現するかは、体質、性格、生活や食事環境などなどに左右されます。

人生何時なんどきこのような負荷にさらされるのかの予測は不可能でしょう。

 

東北から来られた75歳の(仮称)良枝さんは、東日本大震災で親族、知人を大勢亡くしました。その悲しみははかり知れないものがあります。

「事実は小説よりも奇なり」

良枝さんは健康でした。45歳までは病気知らずで、自宅で「ブティック」の洋裁の仕事を楽しんでやっていました。身体は少し小柄ですが、しっかりとした体躯で丈夫な体つきです。三叉神経痛を患っているということを聞かなければ、体調が芳しくないなど想像もできないでしょう。

さて、どうして良枝さんのような健康体の方が三叉神経痛を発現したのか、過去の生活などを検証する中で、その原因が解りました。

大きな原因は洋裁の仕事です。何十年とその仕事をしてきました。仕事が楽しいと感じていることから時間の経過は気になりません。仕事が深夜にまで及ぶこともあったということです。長時間の作業による「筋肉の緊張」が、首や肩など上半身に波及していったのです。多くの健康人がそうですが、自分の身体の「手入れ」を毎日熱心にする人は少ないものです。車を洗ったり磨いたりはするのですが。良枝さんも自分で肩こりを感じたことはなく、手入れをしたこともなかったので、気がつかないうちに長い時間をかけて歪みが生じていったのです。

二つ目の原因は、精神的なストレスです。良枝さんは多くの親族と深い付き合いがあり、その親族の病気や不幸に大きなショックとストレスを受けることが続いたということです。

最初に三叉神経痛が発症したのは昭和62年、実母が他界した時でした。食事の時に左頬に「ぴりぴり」という違和感を感じますが、たいしたことは無いと放置しているうちに2ヶ月で症状が消えます。

次に平成3年に実兄が亡くなり、今度は強い痛みがおこります。病院での診断は「三叉神経痛」で、テグレトールを処方され、服用すると3日で痛みは消失します。

平成4年に親しくしていた義姉ががんで亡くなり、平成9年には夫もがんで亡くなります。その都度発現する激しい痛みも薬により治まりましたが、身内に不幸があると三叉神経痛が起きるのではないか、というイメージが定着してしまいます。

その後も義兄、実兄、義兄、母のように慕っていた叔母と、立て続けに不幸が起きるたびに痛みは出現しました。しかも徐々に痛みの度合いが強くなり、歯磨きや洗顔、化粧の度に激痛がおこる、薬を飲む水を飲むのもつらい、話もできない、風が顔に当たっても痛い、というほどになります。食事もおかゆを1時間かけてやっと食べるという状況です。

処方されたテグレトールでナトリウム低下、エグセグランで薬疹が起きたため、リオレサールを服用しますが、薬量は最大まで増え、副作用と思われる諸症状により心身ともに疲れきってしまい、平成19年10月、ついに手術を受けることを決意します。

神経に絡み付いた静脈をはがし、クッションを挟むという微小血管減圧術は成功し、三叉神経痛はすっきりと消えましたが、まっすぐ歩けない(ふらつく)、眼のピントが合わない(歪んで見える)という症状が起こりました。手術の後遺症とはいえない、そのうち治るだろう、と医師には言われたそうです。

ピントのずれは半年ほどで改善しましたが、今度は聴覚過敏となり、音ががんがん響く症状が現れます。感覚器官が不安定なため、読書や音楽鑑賞などもできません。ふらつきや疲労のため、夕方には横にならないといられない状態が数年続きます。

それでも少しずつ良くなっていると思っていた平成23年3月、東日本大震災がおこります。生まれ故郷が津波によって壊滅的な被害を受け、親族が被災し、何名も亡くなったと聞いた時は信じられない思いでした。自らも娘の家に避難し環境が変わります。余震の続く中、いやでも連日悲惨な報道を目にし、強いストレスをうけます。

4月、ようやく自宅に戻ることができましたが、左側にかすかな痛みを感じます。また三叉神経痛が発症したのではないか、という不安が襲います。まれに再発することがある、と聞いていたのです。痛みは徐々に強くなり、ついに、また食事ができないほどになってしまいました。ところが、病院でのMRIの検査では異常は見られないとのこと、薬で痛みを抑えながら、原因の解らない痛みに悶々と悩む日々を過ごします。

家でじっとしているとどうしても不調の部分に注意がいってしまいます。また、完全主義の潔癖な性格も影響しているかもしれません。リラックスすることなく、常に不安を抱えて身体中が固く硬直していたのです。

また、三叉神経痛とは別に、平成10年頃に発症した腰部脊柱管狭窄症のための座骨神経痛の治療を整形外科や鍼灸院で行っていました。ここでも倦怠感、微熱、無気力などの薬による副作用が強く現れます。薬による影響を受けやすい体質のようです。

 

このような状況の中、娘さんがインターネットで当センターを探し当て、平成23年12月16日に「藁にもすがる」心境で来られました。

私は、三叉神経痛を始め、様々な身体の不調を訴える方の御世話をして、気付いたことは、全員が「身体が歪んでいる」と云う事実です。

歪みの根本は、骨盤内の一対の仙腸関節に亜脱臼(ヅレ)が起きることで、背骨が歪むために起こるのです。

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この歪みが、あらゆる病の根本原因になっていると確信しています。

それは私の体験でも明らかなのです。

(髙橋健康指導センターのHPで、私の体験談をお読みください)

三叉神経痛の方も全員が歪んでいます。

身体が歪むことで三叉神経痛が発症する理由は、ブログのNO1「三叉神経痛」をお読みください。

良枝さんの身体の歪みを見ます。

右肩が下がって捻じれて前に出ています。つまり、上半身が右側に捻じれていますから、右肩が左肩に比して短く感じます。

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更に骨盤の左仙腸関節が亜脱臼を起こして、ヅレ上がっているために左足が短いのです。

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この足の長さの不揃いで歩行をするのですから、不自然な動きが身体全体に負担(筋緊張)をかけることになるのです。

良枝さんは、手を酷使する仕事を永年してきましたから、肩首が異常に疲労して筋緊張があります。

その状態で、骨盤の歪みが更に追い打ちをかけるように筋緊張をもたらした結果として、三叉神経を筋緊張が圧迫する事態におちいった時、三叉神経が発現したのです。

 

骨盤が歪む理由は各種ありますが、筋緊張は「ストレス」でも起こります。筋緊張のレベルが高いと骨盤も、骨盤に付着している筋肉群の萎縮でゆがみます。

大里さんの骨盤の歪みの原因は強いストレスにあるようです。

体験談をお読みいただければ、その事実がご理解頂けるでしょう。

先ずは初回時の症状。

三叉神経の激しい痛み。歩行するとふらつきがあり、気をつけないと転倒する危険性がある。口のしびれ、口部の不随意運動があります。眼の疲れや不眠、倦怠感、脱力感、寒気、肩こり、腰痛、足裏の痛み、残尿感、聴覚異常で高音障害を訴えます。

9日間の療養ですが、薬を沢山服用していました。

医師は痛みを軽減させるために、薬を沢山使用します。

そのような手当てをする以外方法がないのでするのですが、副作用が出るのです。患者さんは三叉神経の痛み以外の薬の副作用でも苦しまねばなりません。

まず、薬の弊害を指摘しました。すぐにすべてをやめる必要はありませんが、新しい療法を始めたので薬は不要になることを理解してもらいました。

訴えている症状の多くは薬の副作用によるものと思われるからです。

 

服用薬と良枝さんの訴える症状と合致する副作用をあげてみましょう。

○リオレサール(筋弛緩作用、鎮痛作用:三叉神経痛に使用)・・・ふらつき 、しびれ、めまい 、不眠、知覚異常、耳鳴り、視調節障害、顔面チック(口部の不随意運動)、脱力感、全身倦怠感、筋肉痛、下肢うっ血(寒気)、排尿困難、頻尿、便秘

 

○メバロチン(高脂血症剤)・・・脱力感、不眠、耳鳴り、筋肉痛、倦怠感、しびれ、便秘

 

○アモバン(催眠鎮静剤、抗不安剤)・・・痙攣発作、ふらつき、耳鳴り、視覚異常、しびれ、倦怠感、脱力感、排尿困難、頻尿

 

○メチコバール(ビタミンB12剤:末梢性神経障害の治療)・・・食欲不振、悪心、下痢

 

○疎経活血湯(ソケイカッケツトウ:神経痛、腰痛、血行改善)・・・脱力感、血圧上昇、手足のしびれ・痛み、筋肉のぴくつき・ふるえ、低カリウム血症

以上の薬の長年の使用で副作用が顕著に出ていました。

 

初日から、一日2回の手当て「整体・温熱・運動」を開始しました。

腰痛、肩こり、足裏の痛みは骨盤を正せば解決できます。

病歴の長さや年齢から、劇的な改善が現れないことはわかりますが、それでも一日一日薄紙を剥ぐように症状に変化が出てきました。

身体の緊張が解け、痛みが薄れてきました。薬に頼らず自分の自然治癒力を高める姿勢ができてきました。

9日間の治療の後、帰宅する日がやってきました。ふらつきはまだ残っていますが、三叉神経の痛みはほぼ消えました。

一番心配なのが食事、顎を動かすときです。痛みが出る過去の記憶が怖いのです。恐る恐るの食事はまだ克服はできませんが、痛みの発現はほぼ治まりましたから、自信を持って、自己療養を怠らなければ、後は時間が解決してくれるでしょう。

三叉神経痛の薬は段階的に減量していますが、完全にやめるまでには至りませんでした。でも、痛みが出なければやめられますから、副作用の問題も近々に解決できると思いました。

二十数年に及ぶ三叉神経痛の苦しみを9日間で総て精算することは不可能ですが、痛みがレベル1を切ったという事実は素晴らしいことではないでしょうか。

理にかなった方法を持ちえれば、このような頑固な症状も克服することが可能だということです。

三叉神経痛で悩んで、医師の手当を受けます、治りません。

それは、西洋医学の治療法がその方に合っていなかったというだけのことです。

別の観点から考えられる素養があるかたは、別の療法を受ければ、克服は難しいものではないということを、この体験談は語っています。

平成24年1月5日、その後の報告をいただきましたので、原文を掲載いたします。

「昨年暮れは大変お世話になりました。

その後順調に薬を減らし、元旦の朝で終わりにしました。

今はステージ0.5の痛みが時々ありますが、食べる時は大丈夫です。有り難うございました。でもふらつき等はまだまだです・・・」

1月30日の報告

「寒い寒い冬でしたが立春も間近です。お変わりなくお過ごしのことと存じます。

私もあの後すっかり痛みは取れましたが、奥歯のあたりが重く感じ、食べ始めは、おっかなびっくり、二時間、二時間と唱えながら気をつけて食事をしてます。今のところ大丈夫です。・・中略・・

先生もお体に気をつけて、いつまでも三叉の救世主でいて下さい。 かしこ」

正しい原因を知り、正しい手当法を自らマスターすれば、三叉神経痛は克服できます。良枝さんはまだ完全治癒ではありませんが、何度も繰り返しますが、時間の問題で解決できるでしょう。

身体を悩ます薬や手術は必要ないのです。この法則は誰にでも当てはまることなので、あきらめる必要はありません。「百聞は一見に如かず」です。

平成24年2月

骨盤のゆがみを正し疲労を解消する生活が、三叉神経の痛みを克服する鍵です。

 三叉神経痛も腰痛も肉体的、精神的に強度の負担を強いられると発現する症状です。この負担を「ストレス」いいます。

ストレスを受けた結果が疲労です。その疲労が筋肉を萎縮させ「骨格」をゆがませます。骨格のゆがみは、その人の体質によって、或いは生活の環境によって様々な部位で更に筋肉を萎縮させ、血液循環を障害させることで各種症状が発現するのです。つまり色々の病気が発症するという事です。

 三叉神経痛も骨格のゆがみが上肢に及び、鎖骨、頚椎、そして顔面の扁平骨の縫合部分にも「ゆがみ」が生じるようになると、顔面の筋肉が萎縮して、血液循環障害をおこし、更に筋肉が萎縮して三叉神経を圧迫する事で疼痛が発現するのです。

痛みのレベルをステージ1から5に設定してみます。

ステージ1は、違和感があるレベルで生活に支障はありません。

ステージ2は、少しピリピリとしたレベルで生活に支障はありませんが、常に気になる状態で気分は優れません。

ステージ3は、ピリピリ感が強くなり、喋る事、食事をする事が少し障害を受けます。

ステージ4は、ピリピリ感ではなく、痛みが強く。或いは疼痛という状態で普通の生活が辛く、恐る恐る動くことは出来ても喋れない、食事もできません。治まるのを待つレベル。

ステージ5は、強度の疼痛で風が当たっただけでも、近くで物音がするだけでもひびき、うめき声を上げるほどのレベル。ひたすら疼痛が治まるまで貝になった状態。身動きは出来ない。

10月7日に健康相談に来られた方は、福島県の49歳の女性の方です。

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39歳の時、精米工場に勤めていて「ギックリ腰」になったそうです。米袋を持つ仕事もこなしたそうですが、持ち方で腰を悪くするので注意を受けていたそうですが、頑張りすぎて痛めてしまいます。

当時は子供が中学に上がり、学業にお金が掛かる時期だったので、女性としては大変な仕事と分かってはいたが、やるしかなかったとのこと。

でも、友人に教えてもらった整骨院の手当てで、直ぐによくなったそうです。

仕事はギックリ腰を契機に、身体の事を考え営業の仕事に代えたそうですが、その2年後、夜中に右奥歯の痛みで覚醒します。

早速歯科医院を受診しますが問題はありません。痛みも直ぐに治まったのですが、忘れかけた頃、再度夜中に痛みで覚醒。

今度は痛みが頻繁になってきたので、別の歯科を受診すると「三叉神経痛」かも知れないのでと、神経内科を紹介されます。

診断名は「三叉神経痛」で、テグレトールを処方されます。

テグレトールは効果が有り、2週間で痛みは消えます。

その後は年に2回から3回ほど、痛みが右奥歯周辺に発現することはあったが、その度に「テグレトール」を服用すると即効性があり、痛みは治まってきたそうです。

漢方薬も試した時期があったそうですが、効果はまったく無かったとのことです。

そのような状況の中で8年余りが過ぎた、今年の3月11日の大地震を契機に、余震が続き睡眠不足の日々が続くと、三叉神経の痛みが発現します。

更に、3年前辺りから、立ち仕事に変えたことで、腰に違和感を感じることがあったが、腰痛も気になるようになってきたそうです。

早速かかり付けの神経内科を受診して「テグレトール」と数種の薬の処方を受けます。

暫くは治まっていましたが、食事の時、食べ物を噛むと痛みが強くなり(レベル4)、次第に薬を服用しても効かない状況になります。

5月の連休後、総合病院の脳神経外科を受診。痛みが強くなっているので、テグレトールとリリカを処方されます。

少し効果は有りましたが、次第に効き目が弱くなり、食事以外の時も痛みが発現するようになります。

そして、テグレトールを100㎎から200㎎に増量して1日2回服用する事態に陥ります。

所が、増量される事で眠けは強くなり、思考能力、記憶力も低下、常に頭が「ボー」とした状態になり、仕事をする事にも支障が出てきました。

10月に入り、友達の所で所用を済ませ自宅に車を運転にして帰ったのですが、家についてから、どの様にして帰ってきたのか、道順すら思い出せない事態に呆然とします。

更に、腰も尋常でない痛みに変わって困惑します。

そのような状況に陥り「藁にもすがる」心境で、薬以外に方法が無いものかとインターネットで検索してみました。

東京の医院で三叉神経痛を薬に頼らず治癒させるというページがあり、連絡してみました。しかし、一週間以内の方はお断りといわれ、更に検索していて、長野市の私のホームページに辿りついたそうです。

10月7日午前中、お姉さんに付き添われて見えました。右頬全体の痛みが酷く、食事の時以外も痛いため、喋る事ができません(レベルは4から5に近い)。

また、腰もかなり痛いと訴えました。

肩、首の緊張度も見ました。最悪です。

横になってもらい頬を温めましたが効果有りません。身体は全体が硬直していて、疲労が限界に達している状態でした。

左足を見てください。

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左骨盤が大きく亜脱臼をしていることが分かります。これでは腰が痛いはずです。

腰の痛みは亜脱臼を正せば直に改善されます。

この骨盤の亜脱臼が総ての原因です。

また、三叉神経痛の痛い症状も三日間頑張れば効果が表れてきますから、励まして身体を緩める療法を始めました。

食事は噛むことが困難でしたので、玄米の柔らかいお粥を調理してあげると、お粥が美味しいといわれて、痛い合間を縫って食べ終わると、ほっとした安堵の表情が浮かびました。

その夜は覚醒することなく熟睡できたそうです。

身体の緊張が少し緩んだだけで、これだけ変わるのです。

二日目から三日目にかけて、腰が楽になり身体が軽くなり症状が急速に改善されてきました。

食事も、三日目からは、ゆっくり食べると痛みは出ますが、1分ほどで消えるので玄米を食べる事が出来るようになりました。

四日目申し合わせたように、レベル4から5に近いレベルが1まで下がりました。

この方が一番辛かったのは、食べ物を噛む行為をすると、右頬に鋭い痛みが走るため、食事が出来ない事です。したがって、柔らかい流動食に近い物を、飲み込むようにするしか出来なかった事です。

五日目、仕事をこれ以上は休めないので帰宅する日となりました。

当日の状況です。

食事の時の痛みはレベル1ですが、最悪の時は痛みが発現すると5分10分と治まらなかったのが、手当てを開始してからは、その時間が日々縮小されて、今は直ぐ消えます。

食事以外の時の痛みは消えました。腰の痛みもありません。

肩、首の緊張はかなり緩みましたが、まだまだですので自己療法を指導しました。

五日間の療養でしたが、リフレッシュしたことで、仕事にも復帰が出来ます。

自己療法を覚えましたので、身体を労りながら生活すれば再発は無いと思います。頑張りすぎる事が一番の敵です。

帰り際に「ここは私にとって駆け込み寺です。また、強い痛みが出るようであれば、直ぐに伺います」と、満面笑みを浮かべて帰られました。

 

その日から数年が経過しましたが、問い合わせは有りません。

克服されて生活されていることでしょう。

平成27年9月

数種の薬服用は体調を狂わせ、三叉神経痛克服の妨げとなります。

 三叉神経とは下顎骨の知覚や運動などを主体に顔面などを支配している脳神経の一つであるが、この神経に添って激烈な痛みが発現する状態を「三叉神経痛」といいます。

しかし、一部炎症などが原因で痛みが発現することを除けば、医学的には「原因不明」で根治困難と言われています。

でも根治困難は西洋医学の治療法であって、別の手当法を選択してみると克服の可能性があることの報告をしたいと思います。

平成23年9月16日今年60歳になられた女性の方が他県から見えられました。

病名は「三叉神経痛」です。

この方の症状は、今までかかわった方とは違っていました。

今までにかかわった方はほとんどが、下顎奥歯の歯茎周辺に激烈な痛みが発現していました。まれに、おでこ周辺に発現する方もおられましたが。

この方は平成17年に食事の食べ物をのみ込む際に、左耳にかけて違和感が発現します。しかし、数日でその症状は消えましたが、数ヶ月に再現します。

食事の飲み物、食べ物を飲み込む際、鋭い痛みが左耳の奥に発現をして、食事をすることが困難となります。

早速「耳鼻咽喉科」を受診すると「三叉神経痛」と診断され、抗てんかん薬「テグレトール」の処方を受けます。この薬剤は、筋肉を弛緩させる効果が有り、重度の三叉神経痛の患者さんにも処方されます。

この薬を服用する事で、痛みが和らぎましたが、数ヵ月後から徐々に痛みが戻り始め、平成19年に入り限界を感じて「微小血管減圧術」の手術を受けます。

手術は成功して今年の4月中旬までは症状は消えていたそうですが、再度食事の際に痛みが発現をして、日に日に強くなってきたそうです。

テグレトールは平成17年から、手術後も再発を恐れて服用していたそうです。でも、発現をしてしまいます。

再手術も考えたそうですが、頭部を切開することが怖くて、他に方法が無いだろうかと悩んでいたところ、ご主人が私の情報に接して、長野まで遠距離から来られました。

部屋に入られる際も、左頬を両手で押さえて、必死に痛みを抑えている姿は、多くのかかわった患者さんと同じでした。

暫く横になって休憩をしてもらい。頬と首筋を温めて、痛みが和んだ後状況をお聞きしました。

服用している薬は、テグレトールの他、1昨年から眠りが悪いために「メイラックス(睡眠薬)」と寒気がひどくなって冷え性を改善する「漢方薬」です。

更に、10年前から健康診断で高血圧を指摘され「アムロジン(本態性高血薬の降圧剤)」も服用していました。

現在の症状は、食事の際、食べ物が舌の後部を通過するとき、ギクギクという鋭い痛みが左耳の深部にまで及ぶため、柔らかい流動食に近い物しか食せないということ。また、しょっぱい物など刺激性の強い物でも痛みがでるそうです。

この頃は食事以外でも、同類の痛みが頻繁に発現するとのことでした。

また、微熱が続いて治まらない。便秘がひどい。胃が重い。寒気がひどい。疲労感が強くイライラするなどです。

食事が思うようにできないと言う事は、身体を衰弱させる一番の原因ですから、その辛さは想像を絶するものがあります。

さて、三叉神経は舌を支配してはいません。しかし、鋭い痛みはでています。舌の後部支配は舌咽神経ですから、この方は舌咽神経が圧迫を受けていると考えるのが妥当です。

ただし、三叉神経も舌咽神経も交通枝により交通はしていますから、痛みが出た時は三叉神経の経路にも影響が及ぶようです。

三叉神経、舌咽神経が痛みを発する事は分かりましたが、この症状も体質改善することで克服できる自信はありました。

正面から身体を見ます。

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猫背気味で身体がゆがんでいます。右足が短いので右骨盤が亜脱臼を起こしています。

肩こりの自覚は無いとのことですが、並みのレベルではありません。

少し押しただけで、鋭い痛みを感じました。

全身硬直していると言って過言ではありません。

この緊張を改善すれば痛みは消失するはずですから、緊張を和らげる療法を開始しました。

「このギクギクという痛みさえ和らげばそれでいいのです。先生本当によくなるのですか?」

私は、師匠から教えてもらった言葉を発します。「病気は治るようにできている。治すのは先生ではなくて、患者自身が持っている自然治癒力です」

「あなたの身体の緊張が改善すれば、自然治癒力が高まり、症状は治まってきます。希望を持ってやりましょう。希望はプラスのホルモンを放出して身体の緊張をとってくれますが、悲観はマイナスのホルモンを放出して身体をがんじがらめに緊張させ、免疫力を低下させますから、気持ちを少しでも希望の方向に向けましょう」と、励ます3日間でした。

 服用している薬の副作用を調べました。やはり、微熱、便秘、胃の不快感、寒気、イライラなどの記述があります。

薬を服用しての弊害を理解してもらいました。全て止めました。

4日目に入ると、食事の時も含めて、激痛が治まり、ぴりぴりと言う我慢できる痛みに変わり、発現の頻度が減少し始めました。

「先生、人間って欲張りですね。激痛が出なくなったら、このピリピリもなくなって欲しいですね」と笑顔が多くなりました。

五日目から症状は日々改善して、帰宅しなければいけない日がやって来て、九日間の療法を終了しました。

食事の時も普段も、弱いピリピリ感が、まだ時々でることもあるそうですが、来た時と帰るときでは雲泥の差となりました。

帰り際に「こんなに良くなるとは思ってもいなかったと、笑顔で帰られました」

 これで完治ではありません。体質改善は端緒についたばかりです。

各種自己療法を家でするように指導しました。

食事も玄米を中心の「マクロビオティック」を指導しました。九日間いることで多くのことを学ぶ事ができたと言われていました。

体質改善のため再度時間をとり身体の手入れにやって来ますとも言われました。

しかし、一番本人が希望を持ったのは、もし再発してもこの療法を受ければ痛みが消失するという事実を体験した事です。

そして薬と縁を切ったお陰で、微熱も治まり、便秘も解消しました。胃の不快感も無くなり、食事を美味しく頂く事ができるようになりました。

冷え性は直ぐには完全にはなりませんが、体質改善を心がけ運動法を取り入れていく中で、近い将来克服できるでしょう。血圧も改善されました。

 

「続編」

 

(仮名)英子さんから、御礼の便りがありましたので、掲載させていただきます。

英子さんは最初、九日間私の指導を受けました。レベル5がレベル1ないし2まで下がりました。そして2週間後から、一ヶ月間指導を受けました。

レベル0.5まで下がりました。

後はマスターした「自己療法」で克服できる所まで来ています。長年積み重ねてきた、筋肉の疲労は時間をかけて癒していくことです。

「高橋先生

約1ヶ月の集中指導本当にありがとうございました。

4日「金」はセンターに立ち寄り出来ず残念な気持ちで一杯です。

戸隠へ主人と行ってみました(ご主人が迎えに来られたのです)。

中社で「おそばをすすり」、奥社までがんばって登って参りました。しかし、軽い気分で行ったものの想像以上にきびしいものでした。

三叉神経痛の病み上がりの私には、途中不安でいっぱいでした。

しかし、どこで何を食べるより先生の食事が最高です!!(当センターでは、マクロビオティックの食事を提供しています)。

5日(土)迎えに来た主人とけんかしいしい、羽田発14:20のANAで帰路に着きました。

 

思えば、10月10日センターへお伺いしたとき、先生「この一ヶ月でどう変わるかね」私:「期待しちゃいます!!」でした。

正にその期待通り、まだそちらに居る11月1日から、ぴたっと痛みがほとんど消えました。

臆病な私は、まだトラウマから脱出出来ませんが、本当にお陰さまで楽になりました。楽に生活が出来るようになりました。

こんなに青いきれいな空を見るのも久しぶりです。行きかう人々の表情も明るく目に入って来ます。

そして痛がりで、臆病で、意気地のない私は、先生が「もう0.5レベルだわ?」と言われた時「まだ、1~1.5位です」と言いましたが、本当は0.5だと思います。申し訳ございませんでした。

また指導センターへお伺いします。その時はよろしくお願い致します。

連絡遅くなり申し訳ございませんでした。

(仮名)英子」

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最初の写真は最初に来られたときのものです。次の写真は帰られるときのものです。

最初のときは「猫背気味」で、身体が緊張しています。

2回目に来られて一ヶ月後、帰られるときの写真です。背筋が伸びゆったりとした感じがします。

 

私の手当ては体質改善です。

体質が悪くなって病気が発現します。

その体質を、身体の歪みを正し、正しい食事をして、適度な運動を心がけて、気持ちを前向きに持って生活していると、改善されて三叉神経痛も消えて行くのです。

英子さんの体験談が、三叉神経痛で苦しんでいる方の参考になれば、英子さんも、私も本望です。

                       高橋健康指導センター  高橋純一