大森博嗣さんは今年で59歳を迎えました。
三叉神経痛に見舞われたのは47歳の働き盛りの時です。
大手のアパート施工会社の一線で営業マンとして、また、管理職を務めていた時です。
建築業界の競争は激しく、息つく暇がないノルマを課せられ奮闘していたそうです。大森さんが一番つらかったのは、部下を「叱咤」する立場にあり、成績の上がらない部下に対しては「罵声」を浴びさせなければ、大森さんにペナルティ付き、「低迷課長」として、上司から呼び出され過酷な「低迷課長研修」を受ける羽目になることから、我慢してやらなければならない精神的負担が大きかったとのことです。
そのような自分の性格に合わない環境下におかれてから、三叉神経痛に悩まされるようになりました。
三叉神経痛が発症したのも、「低迷課長研修」に呼び出され研修場所に新幹線で向かう途中、右下顎骨の奥歯周辺に得体のしれない痛みが走り始め、弁当も痛みのために食べることができませんでした。
帰宅後、早速歯科医院を受診「親知らず」が悪いのではと抜歯をしますが痛みは残ります。
医師の勧めで「信州医療センター」を受診して各種検査を受けますが異常はなく、三叉神経痛と診断され、テグレトールとリリカを処方され服用すると楽になります。その後10年間、大森さんは、季節の変わり目の4月、11月頃には痛みが強くなるのですが、それ以外は痛みが消えている期間が長く、薬の服用は痛みが出ている時のみ服用してきたそうです。
平成29年3月痛みは小康状態が数か月続いていましたが、4月5月は痛みが再燃します。その後9月までは再度楽になります。
しかし、9月中旬から痛みが強くなり、定番のテグレトール200ミリとリリカ75ミリを夕食後服用します。本来であれば一日1回で我慢できる状態になるのですが、今回は効果がありません。
一日2回にしましたが痛みは変わりません。
実は大森さんは、57歳の9月末日で会社を退職したのです。
三叉神経痛発症から10年目「この辺で楽になろうと考えての退職だったのですが」
痛みが治まらないのです。
どうしたものか悩んでいる中で、奥さんがインターネットで当センターのブログを見つけて「だまされたと思って行ってみよう!」と、平成29年10月12日に予約をとり来られました。
私の説明に納得された大森さんは、車で片道1時間半かけて週に1回から2回のペースで29年30年は通われ、31年からは、強い痛みが消えたことで月1回の手当てにして、令和元年9月には「三叉神経の痛みは完全に消失し今日に至っています」
初診から2年弱で頑張り通した結果です。
「石の上にも3年ではなく、2年弱でした」
では、私が主張している「骨盤の歪みから派生する体の歪みが三叉神経痛の根本原因である」を見てください。
左が令和元年11月19日・右が平成29年10月12日
正面、背面とも29年では、身体が傾いています。顔も傾斜しています。
この身体の傾き、顔の傾斜は、人体の土台「骨盤」が狂ってしまっているために、背骨が歪んで、このように姿勢になるのです。
骨盤を観てみましょう。
右側にある「骨盤模型」の上の赤線が「腸骨」という骨ですが、狂っているので画版が「水平」ではありません。
下の赤線が「坐骨」ですが狂っています。
これらは骨盤の仙骨と腸骨の境にある「仙腸関節」が左右で「亜脱臼」を起こすことで、このようになるのです。
真ん中の腸骨・坐骨の写真は、骨盤を施術で正した写真です。
足の写真左は施術前の写真で、右は施術後の写真で両足が揃っています。
大森さんは、2年弱の長期の施術を受けることで、歪んだ身体が修正されて、三叉神経の興奮が治まり、痛みが消失したのです。
三叉神経痛を克服するには、正しく骨盤を正すレベルの高い「整体」と、三叉神経を興奮させる身体の問題点を把握して、改善する方法の指導があって、初めて克服が可能になるのです。
また、大森さんの三叉神経痛克服のもう一つの要素は、精神的ストレスから解放されたという状況も大きな要因です。
三叉神経痛で悩んでいる皆さん、三叉神経痛を根本から克服するには、痛み止めの薬に頼るのではなく、身体の問題点を見つけて対応することが大切なことなのです。
その対応は身体に優しく、三叉神経痛のみでなく、身体を健康体にする素晴らしいことなのです。
「百聞は一見に如かず」です。
ユーチューブでも体験談の紹介をしています。
「三叉神経痛」で検索すると、当センターの動画を観ることができます。
令和元年11月19日 高橋健康指導センター 高橋 純一